極めた技は美しい
もぅ、5ヶ月。
今回の日記の本題。
尺八の音色も含めてですが、技術を極めたものや、研鑽を積んだ結果に仕上がったものは美しくて感動します。人の心を動かすだけのエネルギーがあると言うのでしょうか。
今日日記を書くに至ったのは理由があって。ネットの動画で漫才があったのですが、その漫才は緻密に計算し尽くされたネタでした。前半は何がどうなるんだ?何が面白いんだ?と言った雑談的な内容でした。が、後半から終盤に掛けて前半の雑談的なやり取りが実はネタで、それが全部綺麗に笑いに化けて行くと言う怒涛の展開。コメント欄には痛快とか鳥肌とか、流石プロとか賞賛のコメントが。
文学的な知識が無ければ成り立たない閃きのネタであり、またそれを漫才で構成する発想、徹底的に練り込まれ考え抜かれた構成。それを澱みなく披露するトーク術。全てが見事でした。プロですね。
漫才は一例ですが、手品や、曲芸、書道、ダンスなどの各種の踊り、劇、絵やイラスト、美術全般、写真、料理や食、競技スポーツや演技スポーツ、果ては筋肉美。そして音楽。全て等しく。
人の五感に、心に響くだけの技術を、技を、徹底的に研ぎ澄まして極めたものは人として凄いと感じます。そこに心震えるだけのものがあります。
個人的活動からすれば音楽。音の芸術。聴く者を魅了して虜にさせる、音。私の場合は楽器であり、和楽器の中の楽器・尺八ですが。ただ音が出ている、出してるだけでは人は何も感じない。それだけの物にはそれだけのエネルギーしか宿らない、と言う解釈。チープで、場当たり的で、粗雑な物は要らんのです。
徹底的に練習の上で研ぎ澄まし、透き通る清水とかシルクとかのような。人の耳を、心を動かす美しさを宿し、聴く者に訴えかけるような。それだけの音色を演奏技術でもそうですが、音の感情を、響きを、魂をこめたいですし、こめるべきなのでしょう。
そういう音色を愚直なまでに徹底的に追及したいと思います。
研ぎ澄まされたものは美しい。
日本刀の知識などはありませんが、あの日本刀のような輝きとオーラ。
それを、音色で極める位の心持ちで。
尺八の音色を極めたいです。
私は民謡の尺八ですが、民謡唄を尺八の音色で昇華させ、唄い手様の為にも、民謡の為にも。民謡曲を吹きたいと思います。